水若酢神社 歴史 創建

 

水若酢神社では由緒に関する古文書のほとんどが中世期に兵火等で失われているため、創建は詳らかでない。『隠州記』(貞享(じょうきょう)5年(1688年)著)の伝承では、崇神天皇(第10代)の時に神が海中から伊後(いご)の地に上がり、白鳩2羽に乗って遷座したとする。また寛政7年(1795年)の文書では、仁徳天皇(第16代)の時に祭神が勧請されたとする。

 

 

隠岐島の伝承では、白鳩ではなく白鷺によって神が伊後から捧羽山(ほうばやま、芳葉山)などを経て山田村(隠岐の島町山田)、一宮村宮原(隠岐の島町郡)と移り、さらに江戸時代の洪水の際に現社地の郡村犬町(隠岐の島町郡)に遷座したとする(一宮村宮原以前の遷座年は不詳)。

 

 

現社地は「郡」という地名から隠岐国 穏地郡(おちぐん)郡家(ぐうけ)所在地と推測される地域で、境内一帯では隠岐諸島最大級の横穴式石室を有する水若酢神社古墳群の分布も知られる。