都怒我阿羅斯等 考証

 

名の「つぬが」については、新羅や加耶の最高官位「角干(スプルカン)」を訓読みしたことに由来するとする説が有力であり、またこの「つぬが」が転訛して地名「敦賀」が生まれたともいわれる。また「あらしと」とは、朝鮮語の「閼智(アルチアッチ)」に見えるように、新羅・加耶における貴人への敬称と考えられている。敦賀には式内社として白城神社(しらきじんじゃ)・信露貴彦神社(しろきひこじんじゃ)といった新羅(白城/信露貴)系の神社も分布しており、「都怒我阿羅斯等」の名やその説話と合わせ、朝鮮半島南部から敦賀周辺への相次ぐ渡来人の来訪と定着が示唆される。ただしその所伝に関しては、説話の時期・内容の類似性から蘇那曷叱知そなかしち。任那からの朝貢使)と同一視する説がある。

 

 

また、2つ目の所伝に見える「比売語曽社」のうち、難波の社は比売許曽神社ひめこそじんじゃ。大阪府大阪市東成区、式内名神大社)、豊国国前郡の社は比売語曽社ひめこそしゃ。大分県 東国東郡(ひがしくにさきぐん)姫島村(ひめしまむら))に比定される。この2つ目の所伝は天日槍伝説と同工異曲とされ、同一の神に関する伝承と見られている。「天日槍」の名称自体、上述の「ツヌガ(角干:最高官位)アラシト(閼智:日の御子の名)」の日本名になるとする指摘もある。そしてこれらの伝説において天日槍は新羅王子、都怒我阿羅斯等は大加羅王子とされているが、これは朝鮮由来の蕃神伝承が日本側で特定の国に割り当てられたに過ぎないとされる。