アメノヒボコ 記録 風土記 播磨国風土記 ①

 

播磨国風土記』では、天日槍について次のような地名起源説話が記されている。

 

· 揖保郡(いいぼのこおり)揖保里 

粒丘(いいぼおか)条 

客神(外来神)の天日槍命が、韓の国から海を渡って宇頭川(うずがわ。揖保川・林田川(はやしだがわ)の合流点付近か)の川辺に着き、当地の長たる葦原志挙乎命(あしはらのしこおのみこと)に宿所としての土地を求めると、志挙は海中に宿ることのみを許した。これを受けて天日槍命は剣で海をかき回し、出来た島に宿った。志挙はその霊力に畏れをなし、天日槍命よりも先に国を抑えるべく北上し、粒丘に至って食事を取った。その時に口から飯粒が落ちたため、「粒丘(いいぼおか)」と称されるという(たつの市揖保町揖保上の北のナカジン山に比定)。

 

 

· 宍禾郡(しさわのこおり)比治里(ひじのさと) 

川音村条 

天日槍命が村に泊まって「川の音がとても高い」と言ったので「川音村(かわとのむら)」と称されるという(宍粟市(しそうし)山崎町川戸付近に比定)。

 

 

· 宍禾郡比治里 奪谷条 

葦原志許乎命と天日槍命の2神が谷を奪い合ったので、「奪谷(うばいだに)」と称されるという。

 

 

· 宍禾郡高家里(たかやのさと)条 

天日槍命が「この村の高さは他の村に優っている」と言ったので「高家(たかや)」と称されるという(宍粟市山崎町庄能から山崎付近に比定)。

 

 

· 宍禾郡柏野里(かしわののさと) 

伊奈加川条 

葦原志許乎命と天日槍命が土地の占有争いをした時、いななく馬がこの川で2神に遭遇したため「伊奈加川(いなかがわ)」と称されるという(菅野川(すがのがわ)に比定)。