出石神社 境内
境内の広さは22,000平方メートル。現在の社殿は大正3年(1914年)の再建による。本殿は三間社流造で、屋根は銅板葺である。本殿前に幣殿・祝詞殿(のりとでん)(いずれも切妻造)が接続し、両殿の左右から透塀が出て本殿を囲む。幣殿・祝詞殿の前面には拝殿が建てられている。拝殿は舞殿形式であり、入母屋造平入りで、屋根は銅板葺。特に、身舎(もや。母屋)屋根とは独立して平唐破風出桁造の向拝を持つという特徴を有する。これらの社殿は豊岡市指定有形文化財に指定されている。また、境内入り口には神門が建てられている。この神門は丹塗の八脚門で、多くの蟇股(かえるまた)が飾られている。そのほかの社殿としては、神饌所・社務所などがある。
また境内東北隅の一角には禁足地が存在する。この禁足地の広さは1,000平方メートルほどで、現在は玉垣に囲まれている。その由来は明らかでなく、江戸時代には「天日槍廟所」(あめのひぼこびょうしゃ)と称されていた。
なお、境内から西に約500メートル、鳥居橋を渡った地点の鳥居地区では昭和8年(1933年)に旧鳥居の残欠が古銭多数とともに掘り出されており、かつての神域の広大さを物語っている。周辺の地名「鳥居」は、この旧鳥居に因むとされる。伝承ではこの鳥居を第二鳥居とし、さらに西方の狭間坂(豊岡市出石町 片間(かたま))に第一鳥居があったとする。掘り出された鳥居残欠は豊岡市指定有形文化財に指定され、現在は神門内に保存されている。鳥居跡の西方延長線上には但馬国府推定地が位置することから、出石神社自体もかつては但馬国府方向に西面したとする説がある。