天逆毎 先代旧事本紀

 

『和漢三才図会』では引用書目を、神代上代の事項を記したと仮託される歴史書のひとつである『先代旧事本紀』であると表記しており、また同じく江戸時代に書かれた『天狗名義考』にも『先代旧事本紀』からの引用として天逆毎のことを記した文を示しているが、天逆毎についての記述ならびに引かれているような本文は確認されていない。同様の内容をもつ本文が確認できるのは、『先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんぎ たいせいきょう)であり、こちらが『和漢三才図会』が示している「先代旧事本紀」であることが推察されている。

 

 

『今昔画図続百鬼』で描かれた天逆毎と天雄魔は、他の妖怪の記述とも合わせた比較から『和漢三才図会』を直接の引用元として本文を記していると考えられるが「或書云(あるしょ に いわく)」と書名の明記をぼやかしている。

 

 

天狗の研究家である知切光歳ちぎり こうさい。1902年-1982年)は、諦忍による天逆毎・天雄魔を日本の天狗の祖先であるとする評に対し、もし実際に『先代旧事本紀』が聖徳太子らによって編纂され天逆毎・天雄魔が記紀神話に掲載されなかった神話であるとしても、その当時も既に星に関する「天狗」(あまつきつね)の記述が渡来していたこと、それ以後平安時代まで「てんぐ」という存在が歴史書や書物に現われてないこと等を考えれば、ことさらこれを「天狗」にのみ結び付けて考えるのはおかしいと、している。