葦原中国平定 日本書紀 巻第二神代下・第九段一書(二) ②

 

そこで大己貴神は「天神(あまつかみ)勅(みことのり)の申し出、如此(かく)は慇懃(ねんごろ)なり(行き届いている)。敢(あえ)て命(みことのり)に従がわざらんや。我が治せる顯露(あらわ)の事は、皇孫まさに治すべし。我はまさに退(しりぞ)きて幽事(かくれこと)治さん」と返事をし、岐神(ふなとのかみ)を二神(ふたはしらのかみ)に薦(すす)めて「これまさに我に代りて従い奉るべし。(私に代わってお仕するでしょう)我、まさにここより避(しりぞ)き去らん」と言って、自身に瑞之八坂瓊(みづのやさかに)を身に付けて長く隱れた。

 

 

そこで經津主神は岐神を以ちて国の先導役とし、周囲を巡り平定していった。命(みことのり)に逆らう有れば、即ち斬戮を加え(斬り殺し)、帰順(まつろ)う者には褒美を与えた。この時に、帰順(まつろ)う首渠(ひとごのかみ)は、大物主神(おおものぬし)及び事代主神(ことしろぬし)であった。そして大物主神と事代主神は八十萬神(やおよろずのかみ)を天高市(あまのたけち)に合めて、率いて天に昇り、その柔順の至りを示した。 この時に高皇産靈尊は大物主神に「汝若(も)し國神(くにつかみ)を以ちて妻となせば、我、猶(なお)汝に疏(うと)き心有りと謂わん。故、今、我が女(むすめ)三穂津姫(みほつひめ)を以ちて汝(いまし)に配(あわ)せて妻となさん。宜(よろ)しく八十萬神を領(ひき)いて永く皇孫の護り奉れよ」と勅し、帰り降らせた、とある。

 

 

ここでの高皇産靈尊は交換条件という形で国譲りを迫る。しかも事代主神は本文とは違う登場をする。全体的に一書(一)の続きの内容で、ここにも星神香香背男が別名で登場する。しかし本文と異なり国譲りの前に誅され、斎之大人(いわいのうし)という神が祭祀によって行う。