葦原中国平定 古事記 天若日子の葬儀

 

 

天若日子の死を嘆く下照比賣の泣き声を、天にいる天若日子の父・天津國玉神(あまつくにたまのかみ)や母が聞き、下界に降りて悲しみ喪屋をつくった。阿遅志貴高日子根神(あじしきたかひこね)が弔いに訪れた時、天若日子によく似ていたため、天若日子の父と母が「我が子は死なないで、生きていた」と言って阿遅志貴高日子根神に抱きついた。すると阿遅志貴高日子根神は「穢らわしい死人と見間違えるな」と怒り、剣で喪屋を切り倒し、蹴り飛ばしてしまった。この喪屋が美濃国の喪山(もやま)である。阿遅志貴高日子根神の妹の高比賣命(たかひめのみこと)は、歌を詠んだ。