葦原中国 諸説
神話を歴史的事実の反映として解釈する見方から、以下のように解釈されることもある。いずれも学界で取り上げられたものではない。
· 河口に面し大小の島々が次々と産まれる様から国産み神話が作られたとされ、その内海には葦原の潟(かた)が広がり、大小の津が多くあることから津の国と呼ばれた河内湖を中心とした地域の説。
· 出雲地方そのものを葦原中国とする説。またそれを拡張した島根、鳥取、広島、岡山、山口をまとめて指す中国地方の語源と位置付ける説。また、神武東征以前の大和も出雲勢力の行政地であったため葦原中国とよばれているため、非出雲勢力が出雲勢力の行政地を指した言葉との解釈がある。
· ヤマト王権の東遷と成立を以て、高天原を旧勢力圏であった九州地方、葦原中国を畿内であるとする説。
· 広海、後の大和盆地の平野部、三輪山近辺を葦原瑞穂国(あしはらのみずほのくに)と定め、現在の橿原あたりを葦原中国としたという解釈。
· 文字通り、豊の国の中津=大分県中津市という説。