石部神社(小松市) 歴史
創祀年代は不詳であるが、加賀国が越前国から分国された弘仁14年(823年)よりも前から存在していたと伝えられ、加賀国の国府の南に位置したところから府南社(ふなんしゃ)との別名があった。ただし、『白山之記』(しらやまのき)には府南社の創建は加賀国が越前国されたときであるとしている。延喜式神名帳には「加賀国能美郡 石部神社」と記載され、小社に列している。
当社が加賀国総社とみられており、一時は隆盛を誇ったが安元2年(1176年)の湧泉寺(ゆうせんじ)事件以降勢力が衰えた。慶長5年(1600年)に丹羽長重(にわ ながしげ)により社殿の修理などが施され、江戸時代には歴代の加賀藩藩主の保護を受けた。また、当社が加賀国一宮であると考えられていた時期もあり、白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)と論争になった。