ホオリ 信仰と活躍の場

 

稲穂の神、穀物の神として信仰されており、鹿児島神宮かごしまじんぐう。鹿児島県霧島市)、若狭彦神社(わかさひこじんじゃ)上社(福井県小浜市)などに祀られている。父母のヒコホノニニギとコノハナノサクヤビメ、妻のトヨタマビメと一緒に祀られていることが多い。

 

 

埋葬地の伝承地は南九州各地にある。薩摩の学者の進言により明治新政府はその中から、明治7年に鹿児島県霧島市にある霧島山(きりしまやま)麓を「高屋山上陵(たかやのやまのえのみささぎ/たかやのやまのうえのみささぎ)と治定した。これは古事記の「高千穂山の西」という記述に基づき、「高千穂山」を高千穂峰(たかちほのみね)とみなして定めたものである。他に、宮崎県高千穂町内の古墳、鹿児島県肝付町(きもつきちょう)国見山(くにみやま)、鹿児島県南さつま市野間岳(のまだけ)、宮崎県宮崎市村角町(むらすみちょう)の高屋神社(たかやじんじゃ)などもホオリの神陵という伝承がある。

 

 

一方、「古史古伝(こしこでん)の一つである『上記(うえつふみ)』には、「高日山の西、米良」と記述されており、この文書を偽書だと考えていない論者は現在の大分市・高尾山(127m)の西にある「米良インターチェンジ」のあたりではないか?とする“大分説”の根拠としている。

 

 

北部九州の糸島市にある「高祖神社(たかすじんじゃ)原田大六(はらだ だいろく)の説によれば「彦火火出見尊の墓」という。その説の根拠は「古事記」に「ここは韓国(からくに)に向かい、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故、ここはいと吉き地」とある事から推定したものである。(「実在した神話」原田大六著)

 

 

宮崎県を「日向国」と名付けたのはヤマトタケルの父親である景行天皇(けいこうてんのう。大足彦天皇(おおたらしひこすめらみこと))であり、それ以前の名称は不明である。 ちなみに、『上記(うえつふみ)』では、宮崎県は「奇日の国(くしひのくに)」とされているが、定説ではない。

 

 

宮崎県北部にある五ヶ瀬川(ごかせがわ)の支流の祝子川(ほおりがわ)は、ホオリが生まれた時に産湯として使った川と伝えられ、ホオリが田の神であることから流域にはが生息していないのだという。