都々古別神社(棚倉町八槻) 歴史 概史

 

続日本後紀承和8年(841年)条の「都々古和気神」、ならびに延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳名神大社「都都古和気神社」の論社とされる。

 

 

中世からは山岳信仰が入って修験化し、別当の八槻(やつき)家が管掌した。別当寺は大善院(だいぜんいん)。この八槻は高野郡南郷一帯を掌握し、同じく北郷を掌握した馬場都々古別神社別当の高松家と並立したとされる。

 

 

近世には領主からの崇敬を受けて社領寄進・社殿造営があり、慶長9年(1604年)の文書によると神領高は200石あった。

 

 

明治維新後、近代社格制度では当初郷社に列したが、明治18年(1885年)4月に国幣中社に昇格した。明治期の神仏分離に際して境内の仏教系堂宇は廃されたが、別当の八槻家は継続して神職を担っている。戦後は神社本庁別表神社に列している。