都々古別神社 歴史 概史

 

国史の初見は『続日本後紀承和8年(841年)条で、勲十等の「都々古和気神」が従五位下の神階に叙せられている。

 

 

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では陸奥国白河郡に「都都古和気神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。そのほか、『朝野群載』の康和5年(1103年)6月10日記事にも「坐陸奥国都々古和気神」と見える。なお『和名抄』では陸奥国白河郡に「屋代郷」と見えるが、これは建鉾山北側を流れる社川(やしろがわ)流域に比定されるため、この「屋代(やしろ)」とは「社」すなわち都都古和気神社に由来するとされる。

 

 

中世には馬場社・八槻社とも修験化し、それぞれ高野郡の北郷・南郷の総鎮守に位置づけられた。馬場社はもと棚倉城の地にあったが、棚倉城築城に際して寛永2年(1625年)に現在地に遷座している。

 

 

明治維新後は、明治6年(1873年)に馬場社が名神大社に比定され近代社格制度において国幣中社に列したが、八槻社は郷社とされた。これに八槻社側が抗議したため、論争のすえ両社同格と改められ、明治18年(1885年)に八槻社も国幣中社に昇格した。戦後は両社とも神社本庁別表神社に列している。