安房神社 歴史 創建
社伝では、前述の『古語拾遺』・『先代旧事本紀』の説話を基にしたうえで、神武天皇元年に天富命(あめのとみのみこと。下の宮祭神)が阿波地方(現在の徳島県)から安房地方に至り、当地を開拓したのちに布良浜の男神山・女神山に祖神の天太玉命・天比理刀咩命(あめのひりめのみこと)を祀ったとし、これをもって創祀とする。続けて『安房忌部家系之図』に基づき、養老元年(717年)に吾谷山(あづちやま)山麓の現在地に遷座し、その際に天富命・天忍日命が「下の宮」に祀られたとする。
安房地方に残る伝承として『安房忌部本系帳』(白浜町下立松原神社神官の高山家文書)では、天止美命(天富命)はその創祀の際、天太玉命が天上から持ち来たった神宝を納め、娘の飯長姫命(いいながひめのみこと)に奉仕させたとする。また『安房忌部家系』では、飯長姫は由布都主命(天日鷲命子孫)と結婚したとし、これが安房忌部氏の祖であるとする。
前述のように、忌部氏による開拓を示す確実な史料はないため、上記伝承の史実性は確かではない。確かな史料の上では、前述のように古代安房地方は食膳(特にアワビ)の供給地としての性格が強く、安房神もまた古くから朝廷の「御食都神」としての性格を持ったとされる。なお、境内からは古墳時代の高坏(たかつき)が出土しており、一帯が古墳時代の祭祀地であったことが知られるほか、祭祀との関連は不明ながら縄文時代から弥生時代頃に墓地として使用された洞窟遺跡も発見されている。