寒川神社 八方除(はっぽうよけ)
寒川神社からは、二至二分に、それぞれ丹沢の大山(おおやま)、富士山、箱根の神山(かみやま)に日が沈む。
· 夏至の日の入り
- 丹沢の大山
· 春分・秋分の日の入り
- 富士山
· 冬至の日の入り
- 箱根の神山
寒川神社が建立された当時(西暦500年~700年)は海水準が高く、寒川神社は直接相模湾に面していたと考えられている。相模国には縄文時代の祭祀跡や遺跡が数多く存在する。寒川神社の起源そのものは、歴史書に登場する以前の古墳時代もしくは以前に遡る可能性もある。
現在の寒川神社は「八方除けの神社」として有名だが、本神社における方位除け信仰は、明治時代後半・大正時代に盛んになったものである。明治維新以降、鬼門信仰が金神崇拝に転じ(金光教(こんこうきょう)等)、祟り神とされた丑寅(うしとら)の金神(こんじん)を国常立神(くにとこたちのかみ)として信仰する大本(おおもと)は「世直し運動」として日本社会に影響を与えた。寒川神社における方位除け信仰の起源については、資料の少なさ故に明確なものではないとされる。