事任八幡宮 例大祭 歴史
例大祭が初めて行われた時期は定かではないが、1968年(昭和43年)9月14日付の新聞には「嘉永(かえい)文久(ぶんきゅう)の年間5カ年にかけて、この辺一帯は干ばつに会い水田は亀裂して稲作は枯れ果て、一粒のコメも収穫できなかった。そこで八幡宮にて雨乞いのご祈祷をしたところ、雨が降ってきた。そのためこの年は豊作となった。豊作を祝う豊年祭が、青年会を中心に座敷舞台を作り、笛や太鼓でお囃子をやった。この座敷を動く座敷台にしたいということで屋台が作られた」とある。嘉永が1848年から1855年、文久が1861年から1863年であるから、少なくとも江戸時代にはこの祭が存在したことがうかがわれる。
1945年(昭和20年)ごろに日坂と八坂を結ぶ唯一の道路が国道1号に指定され、祭典としてこの道路を使用することができなくなった。このことによって日坂地区と八坂地区(宮村は地理的な関係で日坂地区として参加)の屋台は顔を合わせることはなくなった。2001年(平成13年)、日坂バイパス開通に伴って旧道となり、日坂と八坂をつなぐ区間は静岡県道415号日坂八坂線として静岡県へ移管され、37年ぶりに八坂地区が八幡宮に宮入りすることとなった。