真清田神社 祭神 祭神について
現在、真清田神社の祭神は上記の通り天火明命(あめのほあかりのみこと)とされるが、かつては国常立尊(くにのとこたちのみこと)祭神説や大己貴命(おおなむちのみこと。大国主)祭神説など複数説が存在した。これらのうち国常立尊祭神説は、『真清田神社縁起(古縁起)』(室町時代末期頃成立)に記される説で、最も古い時代に遡る。国常立尊は神話では天地開闢(てんちかいびゃく)の時に最初に現れた神とされ、『古縁起』では崇神天皇の時に国常立尊を勧請して祀ったとする。しかし近年では、同書が続けて真清田神社を日本中の一宮と主張していることから、伊勢神宮と比肩するために天照大神より古い国常立尊が持ちだされたものと考えられている。一方、大己貴命祭神説は『大日本国一宮記』(だいにほんこくいちのみやき)に見える説で、出現は室町時代末期から江戸時代初期頃に遡り、諸文献に散見される。
これらに対して天火明命祭神説は、江戸時代に吉見幸和(よしみ ゆきかず/よしかず)や栗田寛(くりた ひろし)により唱えられたものである。天火明命は、『日本書紀』『古事記』の神話では天照大神の孫神(天忍穂耳命(アメノオシホミミ)の子神)とされ、『先代旧事本紀』では饒速日命(ニギハヤヒノミコト)と同一視される神である。そしてこの天火明命に比定する説において、社名の「マスミ」が真清鏡(ますみのかがみ)のように鏡に関係する語であるとして、鏡作氏や尾張氏の祖神の天火明命が祭神だと想定された。しかしながら、尾張氏は尾張地方に広く勢力を持った氏族ではあるが、真清田神社との関係を示す文献・伝承は知られていない。
歴史的には、中世末期から江戸時代までは国常立尊祭神説が主流で、明治の時点での祭神は国常立尊のほか天照大御神・月夜見神(ツクヨミ)・大己貴神・大竜王神の5柱となっていた。しかし『特選神名牒』(とくせん しんみょうちょう/じんみょうちょう)において「天照大御神」が「天火明命(天照国照彦天火明尊)」の誤記と見なされ、かつ他の4柱が省略され天火明命1柱とされた関係で、以後は現在まで天火明命1柱説が採用されている。なお、『真清田神社史』では国常立尊祭神説を荒唐無稽としながらも、天火明命と大己貴命については、それぞれ尾張氏の祖先神と奉斎神(土地神)であった可能性を指摘する。
なお祭神の性格に関しては、過去の祭神に龍神が見えることから水神の性格が指摘されるほか、『赤染衛門集』(あかぞめえもんしゅう)の記述から農業神の性格も指摘される。