稚日女尊 概要
日本神話ではまず、『日本書紀』神代記上七段の第一の一書に登場する。高天原の斎服殿(いみはたどの)で神衣(かんみそ)を織っていたとき、それを見たスサノオが馬の皮を逆剥ぎにして部屋の中に投げ込んだ。稚日女尊は驚いて機から落ち、持っていた梭(ひ。織機の付属用具の一。横糸とする糸を巻いた管を 、舟形の胴部の空所に収めたもの)で身体を傷つけて亡くなった。それを知った天照大神は天岩戸に隠れてしまった。『古事記』では、特に名前は書かれず天の服織女(はたおりめ)が梭で女陰(ほと)を衝いて死んだとあり、同一の伝承と考えられる。
次にこの名前の神が登場するのは人代記に入ってからである。神功(じんぐう)皇后の三韓外征の帰途、難波へ向おうとしたが船が真直に進めなくなったため、武庫の港(むこのみなと。神戸港)に還って占いを行った。そこで稚日女尊が現れられ「私は活田長峡国(いくたながおのくに)にいたい」と神宣があったので、海上五十狭茅(うながみのいさち)に祭らせたとある。これが今日の生田神社である。
神名の「稚日女」は若く瑞々しい日の女神という意味である。天照大神の別名が大日女(おおひるめ。大日孁とも)であり、稚日女は天照大神自身のこととも、幼名であるとも言われ(生田神社では幼名と説明している)、妹神や御子神であるとも言われる。丹生都比賣神社(にふつひめ/にうつひめ じんじゃ。和歌山県伊都郡かつらぎ町)では、祭神で、水神・水銀鉱床の神である丹生都比賣大神(にうつひめ)の別名が稚日女尊であり、天照大神の妹神であるとしている。兵庫県西宮市の越木岩神社(こしきいわじんじゃ)には稚比売命の磐座がある。