盟神探湯 中世の記録

 

盟神探湯の記録はこれから900年の間存在しない。記録に見えなかった時期に、盟神探湯による裁判は行われなかったのか、それとも水面下で続いていたかどうかははっきりしない。 しかし、室町時代の応永年間になると再び記録に表れるようになる。この時代には「湯起請(ゆきしょう)という名で呼ばれた。特に足利義教(あしかが よしのり)は政治的裁判にしばしば盟神探湯を用いた。しかし、その後再び記録から消滅する。