四道将軍 備考
· 前田晴人(まえだ はると)は四道将軍の神話自体は史実とは認めないものの、ここに描かれた「四道」を五畿七道成立以前のヤマト王権の地域区分であったとし、四道将軍はその成立を説明するために創作された説話であるとする説を唱えている。
· 前田晴人の2014年時点での見解は、四道という語は6世紀の国造制再編による影響によって導入された中華思想的な概念とする。論拠として、5世紀の倭の五王の一人である武(ぶ。雄略(ゆうりゃく)天皇)が出した上表文には、「東西南北」ではなく、「東西」を平定したといった内容が記され、東西を基軸とした国家統治を基本として、本来、こちらが弥生期から続く伝統的な観念であり、『古事記』においても、「西道」(吉備国)の記述がなく、これにともなって「四道」の語もないことから、4世紀時点に四道の語はなかったとする。
※上表文(じょうひょうぶん)
君主に文書を奉ること。またその文書。上書(じょうしょ)ともいう。