四道将軍 神話での記述
大彦命は、孝元(こうげん)天皇の第1皇子で、母は皇后・欝色謎命(うつしこめのみこと)。開化天皇の同母兄で、娘は崇神天皇皇后の御間城姫命(みまきひめのみこと)、垂仁(すいにん)天皇の外祖父に当たる。舟津神社(ふなつじんじゃ。福井県鯖江市)、敢國神社(あえくにじんじゃ。三重県伊賀市)、伊佐須美神社(いさすみじんじゃ。福島県会津美里町)、古四王神社(こしおうじんじゃ。秋田県秋田市)等に祀られている。敢国神社の社伝によると同神社より北東1.5Kmの所に位置する御墓山(みはかやま/おはかやま)古墳は大彦命の御陵とする。敢国神社の鎮座する三重県伊賀市は大彦命の子孫である阿閉臣(あべのおみ。阿敢臣)の発祥の地とされる伝承も残されている。
武渟川別は、大彦命の子。阿倍朝臣等の祖と伝えられる。津神社(つじんじゃ。岐阜県岐阜市)、健田須賀神社(たけだすがじんじゃ。茨城県結城市)等に祀られている。
また『古事記』によれば、北陸道を平定した大彦命と、東海道を平定した建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)が合流した場所が会津であるとされている。(会津の地名由来説話)。このときの両者の行軍経路を阿賀野川(あがのがわ。大彦命)と鬼怒川(きぬがわ。武渟川別)と推察する見解が哲学者の中路正恒(なかじ まさつね)から出されている。
吉備津彦は、孝霊天皇の皇子で、母は倭国香媛(やまとのくにかひめ)。別名は五十狭芹彦(いさせりひこ)。吉備国を平定したために吉備津彦を名乗ったと考えられているが、古事記には吉備津彦の名は出てこない。桃太郎のモデルの一つであったとも言われている。吉備津神社(きびつじんじゃ。岡山県岡山市)、吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ。岡山県岡山市)、田村神社(たむらじんじゃ。香川県高松市)等に祀られている。
丹波道主命は、古事記によると開化天皇の子、彦坐王(ひこいますのみこ)の子。なお、古事記では彦坐王が丹波に派遣されたとある。母は息長水依比売娘(おきながのみずよりひめ)。娘は垂仁天皇皇后の日葉酢媛命(ひばすひめ)。景行天皇の外祖父に当たる。神谷神社(かんだにじんじゃ。京都府京丹後市)等に祀られている。