高良大社 歴史

 

仁徳(にんとく)天皇55年または78年鎮座、履中(りちゅう)天皇元年創建と伝えられる。

 

 

延喜式神名帳』には「筑後国三井郡(みいぐん) 高良玉垂命神社」と記載されて名神大社に列しているほか、筑後国一宮とされた。また、祭神の高良玉垂命は国内最古の神名帳とされる『筑後国神名帳』によると、朝廷から正一位を授けられたとされる。

 

 

高良山にはもともと高木神たかぎのかみ=高御産巣日神(タカミムスビ)、高牟礼神(たかむれのかみ))が鎮座しており、高牟礼山(たかむれやま)と呼ばれていたが、高良玉垂命が一夜の宿として山を借りたいと申し出て、高木神が譲ったところ、玉垂命は結界を張って鎮座したとの伝説がある。山の名前についてはいつしか高牟礼から音が転じ、良字の二字をあてて「高良」山と呼ばれるようになったという説もある。現在もともとの氏神だった高木神は麓の二の鳥居の手前の高樹神社(たかきじんじゃ)に鎮座する。なお、久留米市御井町(みいまち)にある久留米市役所の支所の名前「高牟礼市民センター」や、久留米市内のいくつかの小中学校の校名や校歌の歌詞に「高牟礼」の名前が残っている。

 

 

現在の社殿は久留米藩第3代藩主・有馬頼利(ありま よりとし)の寄進によるもので、万治(まんじ)3年(1660年)に本殿が、寛文(かんぶん)元年(1661年)に幣殿・拝殿が完成した。

 

 

明治4年(1871年)、近代社格制度において「高良神社」(こうらじんじゃ)として国幣中社に列格し、大正4年(1915年)に国幣大社に昇格した。