梅宮大社 祭事 梅宮祭(うめのみやのまつり)
梅宮大社の例祭は、古来「梅宮祭(うめのみやのまつり)」として知られる。祭は古くは1年に2度、4月と11月の上の酉日に行われたという。その起源について『伊呂波字類抄』では、橘嘉智子が祭神を現在地に遷座して祭を行なったことに始まると記している。また『日本三代実録』では、梅宮祭は承和(834年-847年)・仁寿(851年-854年)頃から行われたといい、『公事根源』(くじこんげん)でも承和頃から始まるとしている。
史料によると梅宮祭は廃止・復活を度々繰り返しており、元慶3年(879年)4月に一度廃止、元慶8年(884年)11月に復活、寛平年間(889年-898年)に再び廃止、寛和(かんな)2年(986年)11月に再び復活するという変遷を経ている。以後は平安時代後期の日記類に見えることから、安定して執り行われたと見られる。この祭の様子は『江家次第』(ごうけしだい)に詳述されており、神児舞(みこまい)・倭舞(やまとまい)などが催される雅楽祭で盛観を極めるものであったという。
梅宮社は橘氏の氏社であったことから、この梅宮祭の祭日には橘氏が奉幣使を務めていた。ただし橘氏の衰退もあって藤原氏による代行も度々行われている。その後、平安時代中後期からは衰退に向かったが、中世・近世にも断続して続けられていた。明治以降は例祭は4月3日の年1回に変わったが、現在では5月3日に移り神幸祭が行われる。