龍田神社 歴史
崇神天皇の時代に創立され、法隆寺(ほうりゅうじ)の鎮守とされていた。伝承によれば、聖徳太子が法隆寺の建設地を探し求めていたときに、白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い、「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。私はその守護神となろう」と言われたので、その地に法隆寺を建立し、鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したという。元々の社名は「龍田比古龍田比女神社」(たつたひこたつたひめじんじゃ)で、その名の通り龍田比古神・龍田比女神の二神(龍田大明神)を祀っていた。延喜式神名帳にもこの名前で記載され、小社に列している。しかし、後に龍田大社(たつたたいしゃ)より天御柱命(あめのみはしらのみこと)・國御柱命(くにのみはしらのみこと)の二神を勧請したため、元々の祭神は忘れられてしまった。現在は天御柱命・國御柱命を主祭神とし、龍田比古神(たつたひこのかみ)・龍田比女神(たつたひめのかみ)を配祀している。
明治の神仏分離により法隆寺から離れ、三郷町立野の官幣大社 龍田神社(現・龍田大社)の摂社となった。独立の請願の結果、大正11年3月に龍田大社より独立し、県社に列格した。