名草戸畔 日本書紀

 

 

日本書紀では、「巻第三 神武天皇即位前紀 戊午年六月」冒頭の

 

“ 

六月乙未朔丁巳 軍至名草邑 則誅名草戸畔者〈戸畔 此云妬鼙〉 (鼙は鼓の下に卑)

 

(旧暦6月1日、軍が名草邑に着き、そこで名草戸畔という名の者〈戸畔はトベと読む〉を誅殺した。)

 ”  

 

が、名草戸畔や名草邑に関する唯一の記述である。

 

 

紀元前660年とされる神武天皇即位の3年前のことで、神武の兄 五瀬命(いつせのみこと)の死の後、狭野(さの)を越え熊野神邑(くまのみわのむら)から再度海路を征く前の話である。