武内宿禰 記録 日本書紀 ⑦
第16代仁徳天皇紀
o 仁徳天皇元年1月3日条
応神天皇の子の大鷦鷯尊(おほさざきのみこと。仁徳天皇)と武内宿禰の子の平群木菟宿禰とは同日に生まれた。その際、応神の子の産殿には木菟(つく:ミミズク)が、武内宿禰の子の産屋には鷦鷯(さざき:ミソサザイ)がそれぞれ飛び込んだので、その鳥の名を交換して各々の子に名付けた。
o 仁徳天皇50年3月5日条
茨田堤(まんだのつつみ。仁徳天皇が淀川沿いに築かせたとされる堤防)に雁が卵を産んだことから、仁徳天皇と武内宿禰とは長生を讃えて歌を詠みあった。