氣比神宮 気比神宮寺

 

 

気比神宮寺(けひじんぐうじ)は、氣比神宮にかつて存在した神宮寺。現在は廃寺。

 

 

藤氏家伝(とうしかでん)によれば神宮寺の成立は霊亀(れいき)元年(715年)で、文献上では全国の神宮寺の中で最古になる。同書によれば、藤原武智麻呂(ふじわらの むちまろ)の夢に気比神が現れ、宿業によって神の身となったことの苦悩を告げて仏道による救済を求め、武智麻呂はその願いを容れて神宮寺を建立したという。

 

 

斉衡(さいこう)2年(855年)には、気比大神宮寺と御子神宮寺(不詳)に対して得度僧5人・心願住者5人の計10人の常住僧を置くことが定められた。また、天安(てんあん/てんなん)2年(858年)には仏像造立費として稲1万束の充当、天安3年(859年)には大般若経一部の安置の記事が見えるほか、貞観2年(860年)記事では神宮寺が定額寺(じょうがくじ)となされている。その後の経緯は記録がなく明らかでない。大永(だいえい、たいえい)6年(1526年)の正遷宮に際して神宮寺御読経所で読経があったともいうが、廃絶の経緯・跡地は不詳。なお、付近の善妙寺(ぜんみょうじ)や妙願寺(みょうがんじ)では神宮寺を前身とするという由緒を伝える。

 

 

若狭・越前地方の神宮寺では、劔神社つるぎじんじゃ。丹生郡(にゅうぐん)越前町)の神宮寺成立が710年代と推定されるほか、若狭彦神社わかさひこじんじゃ。小浜市)神宮寺の神願寺(しんがんじ。若狭神宮寺)では養老年間(717年-724年)の創建譚が『類聚国史(るいじゅこくし)に記されている。気比神宮寺を含むこれら神宮寺の相次ぐ成立に関して、その時期・位置の近さから同一僧侶(一説に白山開基の泰澄(たいちょう))による活動を推測する説がある。また成立要因に関して、敗者として「祟り性」を備える仲哀天皇(氣比神宮祭神)・忍熊皇子(劔神社祭神)の霊を仏道の面から慰撫する目的であったと推測する説もある。