三韓征伐 倭新羅任那加羅秦韓慕韓六国諸軍事

 

413年から478年まで、倭国の倭の五王(わのごおう)は、東晋朝貢し、朝鮮半島南部での倭国の支配権の国際的承認を求めた。438年に倭王讃(わおう さん)を継承した弟の珍(ちん)が倭国王となり、同年4月に宋の文帝は珍を安東将軍倭国王とした。

 

 

451年、珍の後を継いだ済は、宋の文帝から「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事」を加号された。478年、済の後を継いだ子の興が没し王と成っていた興の弟の武は、宋の順帝から「使持節、都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍倭王」に叙任された。