三韓征伐 各国史書による関連記録 概史・年表 ⑤
· 第16代の王訖解尼師今(きっかい にしきん)
(在位:310年 - 356年)
312年、倭国王が王子の通婚を要求。王子ではないが、阿飡(あさん/アチャン。6等官)の急利(きゅうり)の娘を嫁として送った。
323年、新羅が朝貢に参じる。
329年、新羅が朝貢を怠る。9月、砥田宿禰(とだのすくね)と賢遺臣(さかのこりのおみ)を派遣して詰問すると、新羅は貢納を果たした。
344年、倭国は再び通婚を要求。しかし、新羅側は娘は嫁に行ったとして断った。
345年、倭国は怒り、国書を送って国交断絶。
346年、倭国は風島を襲撃し、さらに進撃して首都金城を包囲攻撃した。訖解尼師今は出撃しようとしたが、伊伐飡の康正の進言によって倭軍の疲弊するのを待ち、食料が尽きて退却する倭軍を追撃して敗走させたとする。この時の倭群をイツツヒコ王国として、この遠征失敗により弱体化した同王国を打倒したことが「三韓征伐」とする主張もあるが、上記のように、新羅側の記録に倭軍侵攻の記録が残っている。