三韓征伐 各国史書による関連記録 概史・年表 

 

 

· 第14代の王 儒礼尼師今(じゅれい にしきん)の時代

(在位:284年 - 298年) 

 

 

285年(応神天皇16年)、天皇は平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)、的戸田宿禰(いくはのとだのすくね)を加羅に遣わした。天皇は精兵を授けて、「襲津彦が帰らないのは、きっと新羅が邪魔をしているからだ。お前達は速やかに赴いて新羅を撃ちその道を開け。」と命じた。木菟宿禰らは精兵を進めて新羅の国境に臨んだ。新羅王は恐れて、その罪に服した。二人は弓月の民を率いて襲津彦と共に倭国に帰ってきた。

 

 

287年4月、倭人が一礼部に来たり、集落に放火し、1千人を捕虜にして立ち去った。

 

 

292年、倭兵が沙道城(慶尚北道浦項市)を陥落させようとしたので一吉飡(いつきつさん/イルギルチャン)の大谷に命じて救援させたが、倭軍が攻略した。

 

 

294年、倭兵が長峯城を攻略した。また、沙道城を改築して沙伐州(慶尚北道尚州市)の有力な80余家を移住させ、倭に備えたという。

 

 

297年、伊西国に攻められ首都金城(慶州市)を包囲されるが、竹葉軍の助力で防衛に成功した。なお、この伊西国と日本のイツツヒコ王国との間に関係があったともされる

 

 

 

· 第15代の王 基臨尼師今(きりん にしきん)の時代

(在位:298年 - 310年) 

 

300年1月、倭国と使者を交わした。

 

307年、国号を新羅に戻した。