オオヤマツミ 神話での記述

 

 

古事記』では、神産みにおいて伊弉諾尊(イザナギノミコト)伊弉冉尊(イザナミノミコト)との間に生まれた。その後、草と野の神である鹿屋野比咩神カヤノヒメ。野椎神(のづちのかみ))との間に以下の四対八柱の神を生んでいる。

 

 

· 天之狭土神・国之狭土神

(あめのさづちのかみ・くにのさづちのかみ)

 

· 天之狭霧神・国之狭霧神

(あめのさぎりのかみ・くにのさぎりのかみ)

 

· 天之闇戸神・国之闇戸神

(あめのくらとのかみ・くにのくらとのかみ)

 

· 大戸惑子神・大戸惑女神

(おおとまとひこのかみ・おおとまとひめのかみ)

 

 

 

『日本書紀』では、イザナギが軻遇突智(カグツチ)を斬った際に生まれたとしている。

 

 

オオヤマツミ自身についての記述はあまりなく、オオヤマツミの子と名乗る神が何度か登場する。 八岐大蛇退治において、素盞嗚尊(すさのを)の妻となる奇稲田姫(くしなだひめ)の父母、足名椎命・手名椎命(あしなづち・てなづち)はオオヤマツミの子と名乗っている。

 

 

その後、スサノオの系譜において、オホヤマツミ神の娘である神大市比売神(かむおほいちひめ)との間に大年神(おおとしのかみ)倉稲魂命(うかのみたま)をもうけていると記している。また、クシナダヒメとの間の子、八嶋士奴美(やしまじぬみ)は、オオヤマツミの娘の木花知流姫(このはなちるひめ)と結婚し、布波能母遅久奴須奴(ふはのもぢくぬすぬ)を生んでいる。フハノモヂクヌスヌの子孫が大国主である。

 

 

天孫降臨の後、瓊々杵尊(ニニギノミコト)はオオヤマツミの娘である木花開耶姫(コノハナサクヤビメ)と出逢い、オオヤマツミはコノハナノサクヤビメとその姉の磐長姫(イワナガヒメ)を差し出した。ニニギが容姿が醜いイワナガヒメだけを送り返すと、オオヤマツミはそれを怒り、「イワナガヒメを添えたのは、天孫が岩のように永遠でいられるようにと誓約を立てたからで、イワナガヒメを送り返したことで天孫の寿命は短くなるだろう」と告げた。