大山祇神社 歴史 概史

 

 

文献では、古く『続日本紀天平神護2年(766年)条において、「大山積神」に従四位下の神階を授けるとともに神戸(かんべ/じんこ)5烟を充てる旨が記されている。『新抄格勅符抄(しんしょうきゃくちょくふしょう)大同元年(806年)牒においても、当時の「大山積神」には神戸として伊与国から5戸が充てられ、それは天平神護2年5月3日の符によると記されている。

 

 

その後の国史では、承和4年(837年)に名神に預かり、貞観8年(866年)に正三位、貞観12年(870年)に従二位、貞観17年(875年)に正二位に昇叙された旨が記されている。

 

 

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では伊予国越智郡(おちぐん)に「大山積神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。

 

 

中世から伊予国の一宮とされたほか、朝廷からは「日本総鎮守」の号が下賜されたという。

 

 

神職(大祝職)は、代々越智氏おちうじ)(のち三島(みしま)家)が担い、職名を姓とした大祝氏(おおほうりうじ)を称した。

 

 

大正4年(1915年)、近代社格制度において国幣大社に列格された(四国地方では唯一の大社)。

 

 

太平洋戦争の終戦直後の一時期には、旧帝国海軍関係の貴重な資料や教材を戦利品として連合国に没収されることを恐れた海軍兵学校から、厳島神社と合わせて約1万点を「奉納」の名目で預かっていた。そして後に自衛隊が創設されると、自衛隊に返還がなされた。また、GHQは刀剣類の異常な多さを問題視し、国宝級を除いて処分を命じたが神社側は密かに土中に秘匿した。