大山祇神社 歴史 創建

 

 

 

大山祇神社の鎮座する大三島は古くは「御島」(みしま)と記されたように、神の島とされていた。大三島に鎮座した由来には諸説がある。

 

 

 

· 『大三島記文』(おおみしまきぶん。社伝) 

 

大山祇神子孫の小千命(乎千命、おちのみこと)が大三島に勧請したとする。

 

 

 

· 『伊予国風土記』逸文 

 

大山積神は百済から渡来して津の国(摂津国)の御嶋に鎮座、のち伊予国に勧請されたとする。

 

その解釈として、越智(おち)氏が朝鮮半島出征で大山積神を戴いて帰国したとする説、越智直が百済に出征し捕虜となり中国を回って帰国したとする説話による説があるが、いずれも確証は欠く。摂津国の御嶋は三島江(みしまえ。三島鴨神社(みしまかもじんじゃが定説だが、鴨神社かもじんじゃ。式内社三島鴨神社の論社)ともされる。

 

 

 

 

· 『予章記』(よしょうき)・『予陽河野家譜』 (よようこうのかふ)

 

越智玉興(おち  たまおき)がこの地での霊験にあやかり、勅宣により社殿を造営したとする。

 

 

 

 

境内には弥生時代の神宝や祭祀遺跡があるといわれており、いずれにしてもかなり古い時代から存在したとされる。