玉櫛媛 父
玉櫛媛の父である三島溝橛耳(みしまのみぞくいみみ。京都下鴨神社にまつる賀茂建角身命(かもたけつねみのみこと)・また、和泉地方に伝わる大陶祇命(おおすえつみのみこと・おおみかつちのみこと)と同じ)は、もと日向(宮崎県)にいたが、神武天皇の東征に先立ち、山城・摂津・和泉・土佐方面に大きな力を持つようになっていた。その財力を用いて原野であった地に水路を作り、水田を開墾し摂津の三島地方を開発していた。神武天皇が東征で紀伊の山中で道に迷ったときは、八咫烏(やたがらす)となって道案内をしたとされる。また和泉地方では陶器製作にも力を入れ、農業や工業の発展に少なからぬ功績をたて、支配地方の基礎を築いたとされる。