大神神社(おおみわじんじゃ)

 

 

大神神社(おおみわじんじゃ)は、奈良県桜井市 三輪(みわ)にある神社式内社名神大社)、大和国一宮二十二社(中七社)。旧社格官幣大社で、現在は神社本庁別表神社

別称を「三輪明神」・「三輪神社」とも。

 

 

 

 

神武東征以前より纏向(まきむく。巻向)一帯に勢力を持った先住豪族である磯城彦(しきひこ)が崇敬し、代々族長によって磐座祭祀が営まれた日本最古の神社の一つで、皇室の尊厳も篤く外戚を結んだことから神聖な信仰の場であったと考えられる。旧来は大神大物主神社と呼ばれた。

 

 

三輪山(みわやま)そのものを神体(神体山)としており、本殿をもたず、江戸時代に地元三輪薬師堂の松田氏を棟梁として造営された拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残している。三輪山祭祀は、三輪山の山中や山麓にとどまらず、初瀬川(はせがわ)と巻向川にはさまれた地域(水垣郷。みずがきごう)でも三輪山を望拝して行われた。拝殿奥にある三ツ鳥居は、明神鳥居3つを1つに組み合わせた特異な形式のものである。三つ鳥居から辺津磐座(へついわくら)までが禁足地で、4~5世紀の布留式土器須恵器(すえき)・子持勾玉(こもちまがたま)・臼玉(うすだま)が出土した。三輪山から出土する須恵器の大半は大阪府堺市の泉北丘陵にある泉北古窯址群(こようしぐん)で焼かれたことが判明した。

 

 

摂社の檜原神社(ひばらじんじゃ)は倭姫命(やまとひめのみこと)天照大神を磯堅城(しかたき)の神籬を立てて磯城の厳橿(いつかし)の本にはじめて宮中の外に祀った「倭笠縫邑(やまとかさぬいのむら)の地であると伝えられ、元伊勢の始まりの地となっている(垂仁記二十五年三月条)。また、作者不詳の三輪」ではキリ(終りの部分)の歌に「思えば伊勢と三輪の神。一体分身の御事。いわくら(磐座・言わくら)や」の言葉があり、伊勢神宮の元であることが伺える。

 

 

全国各地に大神神社・神神社(美和神社)が分祀されており、既に『延喜式神名帳』(『延喜式』巻9・10の神名式)にも記述がある。その分布は、山陽道に沿って播磨(美作)・備前・備中・周防に多い。

 

 

近年、大和七福八宝めぐり(三輪明神、長谷寺(はせでら)、信貴山朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)當麻寺(たいまでら)中之坊、安倍文殊院(あべのもんじゅいん)おふさ観音談山神社(たんざんじんじゃ)久米寺(くめでら))の1つに数えられている。平等寺(びょうどうじ)大御輪寺(だいごりんじ)浄願寺じょうがんじ。尼寺)の三つの大きな神宮寺があったが、現存する平等寺以外は明治時代廃仏毀釈で廃絶した。 例年11月14日に行われる醸造安全祈願祭(酒まつり)で拝殿に杉玉(すぎたま、すぎだま)が吊るされる、これが各地の造り酒屋へと伝わった。