建比良鳥命(たけひらとりのみこと) ②

 

 

《崇神天皇六〇年(癸未前三八)七月己酉(十四)》六十年秋七月丙申朔己酉。詔群臣曰。武日照命。〈 一云。武夷鳥。又云。天夷鳥。 〉従天将来神宝。蔵于出雲大神宮。是欲見焉。則遣矢田部造遠祖武諸隅、〈 一書云。一名大母隅也。 〉而使献。当是時。出雲臣之遠祖出雲振根主于神宝。是徃筑紫国而不遇矣。其弟飯入根則被皇命。以神宝、付弟甘美韓日狭与子〓濡渟而貢上。既而出雲振根従筑紫還来之。聞神宝献于朝廷。責其弟飯入根曰。数日当待。何恐之乎。輙許神宝。是以既経年月。猶懐恨忿、有殺弟之志。仍欺弟曰。頃者於止屋淵多生〓。願共行欲見。則随兄而往之。先是。兄窃作木刀。形似真刀。当時自佩之。弟佩真刀。共到淵頭。兄謂弟曰。淵水清冷。願欲共游沐。弟従兄言。各解佩刀、置淵辺。沐於水中。乃兄先上陸。取弟真刀自佩。後弟驚而取兄木刀。共相撃矣。弟不得抜木刀。兄撃弟飯入根而殺之。故時人歌之曰。 

 

 

椰句毛多菟 伊頭毛多鶏流餓 波鶏流多知 菟頭邏佐波磨枳 佐微那辞珥 阿波礼
於是甘美韓日狭。〓濡渟。参向朝廷、曲奏其状。則遣吉備津彦与武渟河別。以誅出雲振根。故出雲臣等畏是事。不祭大神而有間。時丹波氷上人。名氷香戸辺。啓于皇太子活目尊曰。己子有小児。而自然言之。 玉〓鎮石。出雲人祭。真種之甘美鏡。押羽振。甘美御神、底宝御宝主。山河之水泳御魂。静挂甘美御神、底宝御宝主也。〈 〓。此云毛。 〉 是非似小児之言。若有託言乎。於是。皇太子奏于天皇。則勅之使祭。

 

— 巻第十四「崇神紀」

 

 

 

出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこ  かんよごと)には、「天夷鳥命に布都怒志命を副へて天降し」という一節がある。

 

 

神名の「ヒラトリ」「ヒナドリ」「ヒナテル」は「鄙照(ひなてる)」の意で、天降って辺鄙(へんぴ)な地を平定した神の意という説がある。

 

 

鷲宮神社わしのみやじんじゃ。埼玉県久喜市)などで祀られている。