出雲大社 歴史 創建 ②
· 崇神(すじん)天皇60年7月、天皇が「武日照命(たけひなてるのみこと。日本書紀)(建比良鳥命(たけひらとりのみこと。古事記))(天穂日命(アメノホヒ)の子)が天から持って来た神宝が出雲大社に納められているから、それを見たい」と言って献上を命じ、武諸隅(タケモロスミ)を遣わしたところ、飯入根(いいいりね)が、当時の当主で兄の出雲振根(いずものふるね)に無断で出雲の神宝を献上。出雲振根は飯入根を謀殺するが、朝廷に誅殺されている。
(『日本書紀』)
· 垂仁(すいにん)天皇の皇子本牟智和気(ほむちわけ)は生まれながらに唖(おし、おうし。発話障害)であったが、占いによってそれは出雲の大神の祟りであることが分かり、曙立王(あけたつのおう)と菟上王(うなかみのおう)を連れて出雲に遣わして大神を拝ませると、本牟智和気はしゃべれるようになった。奏上をうけた天皇は大変喜び、菟上王を再び出雲に遣わして、「神宮」を造らせた。
(『古事記』)
· 659年(斉明(さいめい)天皇5年)、出雲国造に命じて「神之宮」を修造させた。
(『日本書紀』)
伝承の内容や大社の呼び名は様々であるが、共通して言えることは、天津神(または天皇)の命によって、国津神である大国主神の宮が建てられたということであり、その創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代における国家的な事業として行われたものであることがうかがえる。
また、出雲大社の社伝においては、垂仁天皇の時が第1回、斉明天皇の時が第2回の造営とされている。