多賀大社 歴史 長寿祈願

 

 

多賀社は、特に長寿祈願の神として信仰された。

 

重源

鎌倉時代の僧である重源(ちょうげん)に以下の伝承がある。東大寺再建を発念して20年にならんとする61の重源が、着工時に成就祈願のため伊勢神宮に17日間参籠(さんろう)したところ、夢に天照大神が現れ、「事業成功のため寿命を延ばしたいなら、多賀神に祈願せよ」と告げた。重源が多賀社に参拝すると、ひとひらのの葉が舞い落ちてきた。見ればその葉は「エン)の字の形に虫食い跡の残るものであった。「莚」は「廿」と「延」に分けられ、「廿」は「二十」の意であるから、これは「(寿命が)二十年延びる」と読み解ける。神の意を得て大いに歓喜し奮い立った重源は以後さらに20年にわたる努力を続けて見事東大寺の再建を成し遂げ、報恩謝徳のため当社に赴き、境内の石に座り込むと眠るように亡くなったと伝わる。今日も境内にあるその石は「寿命石」と呼ばれる。また、当社の神紋の一つ「虫くい折れ柏紋」はこの伝承が由来である(今一つに三つ巴がある)。

 

豊臣秀吉

天正16年(1588年)には、多賀社への信仰篤かった豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母の延命を祈願し、成就したため社殿改修を行い大名に与えるに等しい1万石を寄進した。境内正面の石造りの太鼓橋(たいこばし。大僧正慈性(じしょう)により寛永15年〈1638年〉造営)は「太閤橋」(たいこうはし)の雅名でも呼ばれる。