住吉大社 歴史 創建
『日本書紀』神功皇后摂政前紀によれば、住吉三神(筒男三神)は神功皇后の新羅征討において皇后に託宣を下し、その征討を成功に導いた。そして神功皇后摂政元年、皇后は大和への帰還中に麛坂皇子(かごさかのみこ)・忍熊皇子(おしくまのみこ)の反乱に遭い、さらに難波へ向かうも船が進まなくなったため、務古水門(むこのみなと:兵庫県尼崎市の武庫川河口東岸に比定)で占うと住吉三神が三神の和魂(にぎみたま)を「大津の渟中倉の長峡(おおつのぬなくらのながお)」で祀るように託宣を下した。そこで皇后が神の教えのままに鎮祭すると、無事海を渡れるようになったという。一般にはこの「大津の渟中倉の長峡」が住吉大社の地に比定される。一方『帝王編年記』では住吉の地における鎮祭年を神功皇后摂政11年としており、住吉大社側もこの年をもって鎮祭としている。
また『住吉大社神代記』(すみよしたいしゃじんだいき。平安時代前期頃の成立か)によれば、住吉三神は「渟中椋(ぬなくら)の長岡の玉出峡(たまでのお)」に住むことを欲したので、神功皇后はその地に住んでいた手搓足尼(たもみのすくね。田裳見宿禰)を神主として祀らせたという。この田裳見宿禰の後裔が、住吉大社の祭祀を担った津守連(つもりのむらじ。津守氏)一族とされる。