金刀比羅宮 歴史 江戸時代

 

 

江戸時代初期には、別当の象頭山松尾寺の宥光(ゆうこう)が参拝の土産物として○に金の印を入れたうちわを作ることを思いつき、大和国より技術者を招いたといわれ、この頃には信仰が次第に広がりを見せていたと推察される。

 

 

江戸時代中期に入ると全国の庶民の間へと信仰は広がり、各地で金毘羅講が組織され、金毘羅参りが盛んに行われる様になる。この頃、金毘羅参りは伊勢神宮へのお陰参りに次ぐ庶民の憧れだったといわれ、その様子は、浮世絵東海道五十三次の一つである「沼津」に描かれた金毘羅参りの後姿や、滑稽本東海道中膝栗毛に書かれた主人公の弥次(やじ)さんと金毘羅参りの格好をした男との饅頭の食べ比べの話などからも、うかがうことが出来る。

 

 

江戸時代末期には「こんぴら船々 追風(おいて)に帆かけて シュラシュシュシュ まわれば 四国は 讃州那珂の郡 象頭山 金毘羅大権現 一度まわれば」との民謡「金比羅船々」が歌われ始める。