香取神宮 歴史 社領

 

 

延喜式』によれば、神宮の鎮座する下総国香取郡神郡、すなわち郡全体が神宮の神領に指定されていた。『常陸国風土記』には、鹿島神宮の鎮座する常陸国鹿島郡(香島郡)が大化(たいか)5年(649年)に神郡として建郡されたとあり、香取郡も同様に建郡されたものと推測されている。

 

 

大同(だいどう)元年(806年)には神宮の封戸は70戸であった。11世紀には藤原氏からの封戸寄進の記事も見える。

 

 

中世には、神官同士の争いや千葉氏に代表される武家からの神領侵犯があり、訴訟も頻繁に行われた。また、中世に始まる特殊収入として「海夫(かいふ)」、すなわち香取海の漁業従事者からの供祭料があった。

 

 

千葉氏の滅亡後、代わって関東に入った徳川家康の下で天正19年(1591年)に検地が行われた。その結果社領は大幅に削減され、同年に1,000石が朱印地として与えられた。元禄期の史料では、神宮領900石、大戸社領100石、神宮寺領20石であったという。