香取神宮 祭神

 

祭神は次の1柱。

 

· 経津主大神(ふつぬしのおおかみ) 

 

別名を伊波比主神斎主神(いわいぬしのかみ)、斎之大人(いはひのうし)。

 

 

祭神について

上記のように、香取神宮の主祭神はフツヌシ(経津主)として知られる。その出自について、『日本書紀』(720年)では一書として、イザナギ(伊弉諾尊)がカグツチ(軻遇突智)を斬った際、剣から滴る血が固まってできた岩群がフツヌシの祖であるとしている。また別の一書として、カグツチの血が岩群を染めイワサク・ネサク(磐裂神・根裂神)が生まれ、その御子のイワツツノオ・イワツツノメ(磐筒男神・磐筒女神)がフツヌシを生んだとしている。その後『日本書紀』本文では、天孫降臨に先立つ葦原中国平定においてタケミカヅチ鹿島神宮祭神)とともに出雲へ派遣され、大国主命と国譲りの交渉を行なったという。なお、『古事記』ではフツヌシは登場しない。

 

 

フツヌシと香取の関係については、『日本書紀』一書に「斎主神云々、此神今在于東国檝取之地也」とあり、「檝取(楫取、かとり) = 香取」に祀られることが記されている。また『古語拾遺』(大同2年(807年)成立)で「経津主神云々、今下総国香取神是也」、『延喜式』(延長5年(927年)完成)所収の「春日祭祝詞」でも「香取坐伊波比主命」と記されている。

 

 

祭神の性格としては、フツヌシが国土平定に活躍したという書紀の説話から、武神・軍神と見なされている。名称の「フツ」についても、記紀に見える神剣「フツノミタマ(布都御魂/韴霊)」の名と同様、刀剣の鋭い様を表した言葉であるといわれる。軍神の認識を表すものとしては、『梁塵秘抄』(りょうじんひしょう。平安時代末期)の「関より東の軍神、鹿島・香取・諏訪の宮」という歌が知られる。一方、「楫取 = かじ()取り」という古名から、古くは航行を掌る神として祀られたという見方もある。そのほか、フツヌシとイハヒヌシ(伊波比主/斎主)という異名称の扱いや原始祭祀氏族には不明な点が多く、香取神宮の創祀も含めて諸説がある。