鹿島神宮 考証 祭神・祭祀氏族について ④

 

 

また、鹿島神宮の祭神は古くよりタケミカヅチとされているが、『古事記』・『日本書紀』・『常陸国風土記』には祭神をタケミカヅチとする直接的な言及はなく、初見は『古語拾遺』(807年成立)または『延喜式』所収の「春日祭祝詞」(768年から927年に成立)にまで下。その祭神設定の経緯としては、ヤマト政権が東国経営を進めるに伴い、原始祭祀の神に対して中臣氏がタケミカヅチを代位したという見方がなされている。一方、上記のようにタケミカヅチは物部氏の祀る神という見方や、鹿島に残る「ミカ = 甕」伝承と神名との指摘もある。いずれにしても、タケミカヅチが常陸に根付いたのは、8世紀をそう遡らないと見られている。

 

 

そのほか、香取神宮祭神の「イハヒヌシ(イワイヌシ、伊波比主・斎主)」という別称から、鹿島・香取両神宮について「鹿島 = 朝廷の神」に対する「香取 = 在地の神(奉仕する神)」という、伊勢神宮の内宮・外宮に似た祭祀関係の指摘もある。