鹿島神宮 考証 祭神・祭祀氏族について ②

 

 

多氏(おおうじ)

 

中臣氏以前の氏族を多氏(おおうじ)に見る説で、根拠として、「鹿島の本宮」ともいわれる大生神社おおうじんじゃ/おうじんじゃ。潮来市大生)の存在がある。その社名「おおう」は、多氏一族が居住したことによると伝えられ、奈良の多神社おおじんじゃ。多氏本拠地)からの勧請という伝承もある。また大生神社の例祭には鹿島神宮から物忌が出輿したとされるが、物忌は神宮祭事のうち年6回しか携わることはなく、その1つを境外の大生神社が占めていたことは破格の扱いといえる。大生神社に関する古文書には、春日大社創建を契機として鹿島神宮が性格を変えたこと、それに大生神社が関わっていることが記載されている。この大生神社周辺には古墳時代中期(5世紀)の古墳群(大生古墳群)が残っており、神社祭祀氏族の墓とされ、各前方後円墳がいずれも大生神社または鹿島神宮を向いているという指摘もある。

 

 

多氏については、鹿島郡を割く以前の那珂地域を治めた仲国造や、鹿島苗裔神が特に多い陸奥国磐城郡の国造(道奥石城国造)が、いずれも多氏祖の神八井耳命(かんやいみみのみこと)系であったことも併せて指摘される。