鹿島神宮 関係事項 鹿島郡衙(かしまぐんが)

 

 

鹿島郡かしまぐん。香島郡)は、『常陸国風土記』によれば下総国海上国造(うなかみこくぞう)の部内及び那賀国造(なかこくぞう。仲国造)の部内からそれぞれ割き、当初より神郡(しんぐん、かみのこおり)として建郡されたという。古郡衙の遺構は見つかっておらず、神郡の郡衙であるので神社のそばであるとも推察される。

 

 

8世紀以降の新郡衙跡は、神宮の南約1.5kmに位置する鹿嶋市宮中の神野向遺跡(かのむかいいせき)で発見された。遺構は、8世紀前半から10世紀初め頃までの郡庁内郭・厨家(くりや)相当施設・正倉院等で構成されている。この場所は『常陸国風土記』の「其の社の南」に郡家があるという記載とも一致する。遺跡は鹿島神宮境内の附(つけたり)として国の史跡に指定されている。