富士山本宮浅間大社 概史 江戸時代

 

 

江戸時代に入ると、徳川家康は867石の朱印地を安堵したほか、関ヶ原の戦いの戦勝を記念して現在の社殿を造営した。慶長(けいちょう)14年(1609年)には、富士山頂における散銭取得の優先権を得た。その後の歴代将軍も祈祷料・修理料の寄進を行っており、4代将軍 徳川家綱は金1千両を寄進、5代将軍 徳川綱吉は銀50枚・金2千両、後にも金700両を寄進、10代将軍 徳川家治は銀300枚を寄進した。その後も徳川家の歴代将軍による崇敬が絶たれることは無かった。安永(あんえい)8年(1779年)には三奉行による裁許により富士山の8合目以上が浅間大社へ寄進された。

 

 

『富嶽之記』(ふがくのき。1733年)では、浅間大社の様子を「是冨士山根本の浅間也、木花開耶姫を祭る、神主大宮司といふ、社僧二十院あり、境内桜多シ、神の愛木也、社ノ東に垢離場有り」と記している。