富士山本宮浅間大社 概史 鎌倉時代から戦国時代
以降、公家や武家からの崇敬を受け、後醍醐天皇の土地の寄進のほか、武家からは社領の寄進や修復が重ねて行われた。鎌倉時代には源頼朝の社領の寄進や北条義時の社殿の造営といった当時の実力者からの崇敬を受けた。社伝(『富士本宮浅間社記』)によると、源頼朝が富士の巻狩を行った際、流鏑馬(やぶさめ)を奉納したことが浅間大社の流鏑馬の起源とされる。南北朝時代には足利尊氏や足利義直(ただよし)による社領の寄進、今川範氏(のりうじ)や今川泰範(やすのり)らの土地の安堵や諸役の免除などが行われた。武田信玄は願状を捧げ、その後武田勝頼は天正4年から造営を進め天正6年(1578年)に遷宮を行った。豊臣秀吉も社領寄進の朱印状を発布している。