富士山本宮浅間大社 概史 平安時代

 

 

六国史においては、仁寿3年(853年)に名神・従三位に叙せられた。なお、これは「浅間神」の初見でもあるが、初めから従三位という高位を授かるとは考えがたく、神名の成立はさらにさかのぼると見られる。貞観(じょうがん)元年(859年)には正三位に叙せられた。

 

 

また、貞観6年(864年)から貞観8年(866年)に多くの被害を出した富士山の貞観大噴火に対して、朝廷では占いにより噴火を浅間社の祭祀怠慢によるものとした。その結果甲斐国でも浅間神を祭祀することとなり、結果的に浅間信仰は甲斐側にも広がることとなった。

 

 

以降朝廷の崇敬を受け、『延喜式神名帳』では「駿河国富士郡 浅間神社 名神大」と記載されて名神大社に列した。また駿河国一宮としても崇敬された。駿河国府の近くには、浅間大社から勧請を受けて浅間神社(現 静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)の一社)も創建された。「本宮」の浅間大社に対し、そちらは「新宮」と呼ばれる。なお、甲斐国の浅間神社も同国では唯一の名神大社に列し、浅間神に対する崇敬の深さがうかがわれる。