九頭竜伝承 九頭龍川流域の伝承 ③
その後の黒龍大明神信仰の歴史
· 承平(じょうへい)元年(931年)、藤原利行(ふじわらの としゆき) 朱雀帝御宇 承平元年越前国黒龍村、毛谷神社(けやじんじゃ)神職となる(藤原姓の神職の祖、第一代)。
· 承平3年(933年)、長者となった生江の世常の宿祢(いくえのよつねのすくね)の夢にお告げがあり、社殿を新しく造りかえた。毎年七度の祭礼が行われてきたという。それが延喜式にある坂井郡(さかいぐん)毛谷神社(けやじんじゃ)で、今の毛谷黒龍神社(けやくろたつじんじゃ)にあたる。生江の世常の宿祢が長者となる奇跡の物語は、今昔物語集[巻17-47]や宇治拾遺物語[巻15-7]に載っている。
· 光明院御宇 暦応(りゃくおう)元年5月2日、二十四代藤原行古が左中将義貞に従軍し藤島の里に戦死。暦応元年5月、新田義貞が斯波高経(しば たかつね)と戦ったとき、 黒龍神社も兵火にかかり燃える。このとき神霊は、白龍となって山上に飛び、木の上にとまった。そこで、このあたりを竜ヶ岡(たつがおか)と呼ぶようになった(『太平記』巻第二十に黒龍明神下での戦いの記載あり)。