白山信仰 歴史

 

 

崇神天皇7年に、白山を仰ぎみる遥拝所が創建されたと伝えられる。祭神は菊理媛尊(くくりひめのみこと。白山比咩大神)、伊邪那岐尊(イザナギ。伊弉諾命)、伊邪那美尊(イザナミ。伊弉冉命)の三柱であった。

 

 

その後、717年養老元年)に、修験者泰澄が加賀国(当時は越前国)白山の主峰、御前峰(ごぜんがみね)に登って瞑想していた時に、緑碧池(みどりがいけ。翠ヶ池)から十一面観音垂迹である九頭龍王(くずりゅうおう)が出現して、自らを伊弉冉尊の化身で白山明神妙理大菩薩と名乗って顕現したのが白山修験場開創の由来と伝えられ、以後の白山信仰の基となった。

 

 

718年(養老2年)に、泰澄は御前峰に社を築き、白山妙理大権現を奉祀した。

 

 

平安時代には、加賀・越前・美濃の3国に禅定道が設けられ、「三箇の馬場(ばんば)は、加賀の馬場、越前の馬場、美乃の馬場也」(三馬場)と呼ばれた。そして、神仏習合により、820年天長9年)には、それぞれの馬場に、白山寺、平泉寺、長滝寺の神宮寺が建立された。

 

 

延暦寺末寺となった加賀国白山寺白山本宮、越前国霊応山平泉寺、美濃国白山中宮長滝寺は白山頂上本社の祭祀権を巡る争いを続けたが、寛文8年(1668年)白山麓は江戸幕府公儀御料(こうぎごりょう。天領)となり、霊応山平泉寺が白山頂上本社の祭祀権を獲得した。