白山比咩神社 歴史 明治時代以降

 

 

明治時代王政復古 明治維新政府の神仏分離令により、白山比咩神社は白山比咩大神(しらやまひめおおかみ)(=菊理媛尊)・伊弉諾尊伊弉冉尊の3祭神を祀り、社名を古代『延喜式神名帳』に記載された古来の白山本宮・加賀一ノ宮である「白山比咩神社」とし、神宮寺の白山寺を廃した。

 

 

歴史史料で経緯が調査され、3社のうちで朝廷公式の神祇史料として最も古くは『延喜式神名帳』に記載されたのが加賀国の白山比咩神社だけであったため、この白山比咩神社が全国の白山神社の総本社とされ、越前・美濃は分霊された白山神社とされた。越前・美濃の白山神社より勧請を受けた他の白山神社も、加賀の白山比咩神社の分霊社と由諸を書き換えた。

 

 

第二次大戦敗戦を経て日本独立後は、白山比咩神社以外の越前平泉寺白山神社・美濃長滝白山神社の両白山神社も「白山神社の総本社」を名乗る。白山比咩神社は伊勢の神宮神社本庁に入り、歴史の古い別表神社となり、国から白山頂上の奥宮を中心とする約3000ヘクタールの広大な地域を本社境内として無償渡与を受け、境内管理し現在に至る。